2005年05月27日

靖国神社 首相参拝問題の解説

 「 首相の靖国神社参拝問題をより深く理解するために」の文章を 抜粋し読みやすいように編集、追記しました。 意味が変わらないようにしたつもりですが リンク先にて確認頂ければ幸いです。

はじめに

 世界のどの国家も、国家ないしは民族のために命を捧げた英霊を一般国民が祀るための場所を用意し、国家として慰霊追悼行事を行っています。

 米国のアーリントン墓地への参拝と靖国神社への参拝はまさしく同質です。それは国の礼儀であり、魂を尊重する行為だからです。

靖国神社と千鳥が淵墓苑

 靖国神社には遺骨は無論のこと位牌も納められていません。 遺骨については各家族が家族の墓地に納め、また位牌はそれぞれの遺族が主に家庭の祭壇で祀っているのが一般的です。靖国神社には戦没者が神として合祀されているだけです。

 千鳥が淵墓苑は無名戦士戦没者の墓です。ここには、犠牲者の姓名が不明なため、遺族が判明しない無名戦士の遺骨が納められています。

靖国神社御祭神柱数(平成16年10月17日現在)

明治維新7,751
西南戦争6,971
日清戦争13,619
台湾征討1,130
北清事変1,256
日露戦争88,429
第一次世界大戦 4,850
済南事変185
満洲事変17,176
支那事変191,250
大東亜戦争2,133,915
合計 2,466,532

女性 57,000余柱、朝鮮人 21,000余柱、台湾人 28,000余柱を含む

日本の精神文化

 日本人は死者については敵も味方もなく「死後は神になる」 として平等に扱うという寛容の精神を持っているということです。味方だけではなく、敵側の犠牲者も英霊として祭るのは日本人の伝統的精神の一つです。

 1945年4月、ルーズベルト大統領が逝去した時、ヒトラーは狂喜しましたが、鈴木貫太郎首相はアメリカ国民に向けて弔意を表す談話を発表しました。これが日本の精神文化です。

中国の精神文化

 中国人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容です。敵に対しては「生きてその肉を喰らい、その皮で寝る」ことを願うほど憎みぬき、死後は「その魂を喰らう」とまで誓うほど、敵は永遠に敵です。これは中国人の代表的死生観であり、伝統文化でもあります。

 中国人はいまでも日本に対する復讐が終わっていないと本気で考えています。子々孫々の代まで憎み続け、復讐しなければならないという掟は中国の文化そのものです。

 善悪の二者択一という決めつけの思考しか存在せず、報復主義を主張する「勧善懲悪」の儒教倫理が中国文化の中核です。他者に対する独善的な強制のみです。

 「勧善懲悪」の思想の背景には、道徳第一主義の中華思想があり、日本に対する民族的優越感があります。

中国と韓国の宗教観

 中国と韓国の宗教は極めて儒教に影響を受けているか、あるいは儒教そのものです。特に韓国では二十世紀初頭まで儒教が国教でした。

 儒教の死生観では、死とは人間の精神を司る「魂(こん)」と、肉体を司る「魄(はく)」が分離することです。「魂」は中空を漂い、さ迷っていると信じられています。それが合体すれば、死者が蘇ります。

それを防ぐためには、墓を暴き、死体を破壊しなければ、安心できないのです。

政教分離

 「政教分離を定めた日本国憲法20条に違反している」というのは誤解で、1977年の最高裁の判決(7月の津地鎮祭訴訟)で、神道による儀式が 他の宗教への干渉にならない限り、問題はないことが明確になっています。

 ちなみに 政府主催で毎年8月15日に戦没者追悼式を行っています。菊の花に囲まれた祭壇の中央に依り代が飾られていますが、これは儒教形式であり、位牌に相当します。これに霊が呼ばれて憑くのです。もちろんいわゆるA、BC級戦犯も含まれています。

 完全に宗教的行事ですが、天皇陛下始め、首相、閣僚、衆参両院議長、最高裁判所長官などが参列しています。

 政教分離やA級戦犯合祀を理由に 靖国への参拝に反対する政党からも、その代表が参列しているのは矛盾しています。

日本国内法

 1952年に日本が独立を回復した後、「戦犯」とされ、 独立後も連合国の刑務所などに拘束されていた人々を解放する4,000万人署名運動が起こされて徐々に戦犯を保護するよう各種法律も変えられました。

 国内法のもとでは、講和独立後いわゆる戦犯はもはや戦犯ではないのです。戦犯として処刑されてしまった方々の遺族も一般の戦没者の遺族と同じ扱いを受けています。

まとめ

 中華史観と日本史観の基本的対立の根源は、このような死生観の違いにあります。靖国神社参拝をめぐる日中の対立の本質は、「死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる」という日本の精神文化と、「末代まで憎しみ続ける」という中国の精神文化との摩擦です。



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2005年05月21日

靖国神社 参拝者の国籍

 A級戦犯合祀判明後、32カ国の方が参拝されています。政治家や役人が参拝している国は おそらく親日国家でしょう! 少なくとも 反日国家ではないでしょう。

【武官】−(1)軍事に携わる官吏
【官吏】−(1)国家公務員の通称 役人 官員 (by goo

A級戦犯合祀判明後の参拝者の国籍(S54〜H14、1979〜2002) 中文
アジア 中文
No.国 名分    類
1インド元軍人、大臣、武官、歴史学者、公務員、民間
2インドネシア大臣
3スリランカ大使
4タイ軍人、武官
5台湾遺族
6チベット前首相、宗教者
7パキスタン武官
8マレーシア武官
9ミャンマー大臣、武官
南北アメリカ 中文
No.国 名分    類
10アメリカ元軍人、軍人、公務員、学生
11カナダ民間、学生
12チリ大臣
13ブラジル武官
14ペルー前大統領
15メキシコ武官
ヨーロッパ
No.国 名分    類
16アゼルバイジャン元首相
17イギリス武官
18イタリア武官
19オーストリア宗教学者
20スイス軍人、武官
21スロベニア国連大使
22ドイツ軍人、武官、民間
23フィンランド特命大使
24ポーランド軍人、武官
25リトアニア首相
26ルーマニア軍人、武官
27ロシア武官
大洋州 中文
No.国 名分    類
28 パラオ政府顧問
中東
No.国 名分    類
29イスラエル武官
30イラン一等書記官
31トルコ軍人、武官
アフリカ
No.国 名分    類
32エジプト大使、公使、宗教学者

詳細は 下記のページで確認して下さい(^o^)

靖国神社 外国人参拝者(1)S54〜H08(1979〜1996)
靖国神社 外国人参拝者(2)H09〜H11(1997〜1999)
靖国神社 外国人参拝者(3)H12〜H14(2000〜2002)

参考写真

世界の要人らの靖国神社参拝
世界の軍関係者の靖国神社参拝

05/05/22 14:54 一部追記
posted by hiro at 18:43| Comment(4) | TrackBack(1) | 靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

靖国神社 外国人参拝者(3)

A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(H12〜H14)
年月日国名肩書・氏名
H12/01/12
(2000)
アメリカコルゲート大学学生
H12/04/05
(2000)
台湾臺灣高砂族元義勇兵・遺族
H12/04/08
(2000)
トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐
H12/04/08
(2000)
ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジュアル空軍大佐
H12/04/08
(2000)
イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐
H12/04/08
(2000)
スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐
H12/04/08
(2000)
ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐
H12/04/08
(2000)
イタリア大使館付武官オファーノ・ルチアーノ海軍大佐
H12/04/08
(2000)
ポーランド大使館付武官キメク・トーマス陸軍大佐
H12/04/08
(2000)
ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐
H12/04/08
(2000)
インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐、空軍ビスワン空軍大尉
H12/04/08
(2000)
メキシコ大使館付武官セルジオ・ララ・モンテジャーノ海軍少将
H12/04/17
(2000)
台湾臺灣高砂族元義勇兵・遺族
H12/04/26
(2000)
インド沿岸警備隊長官ジョン・コリンズ・デシルバ海軍中将
H12/10/18
(2000)
イタリア大使館付武官オッタリオ・ルティグハーノ海軍大佐
H12/10/18
(2000)
トルコ大使館付武官クトイ・ジング氏
H13/03/22
(2001)
カナダビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・ミドルスクール
H13/04/07
(2001)
スイス国防武官(?)ハンズ・R・マイヤ陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐
H13/04/07
(2001)
トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐
H13/04/07
(2001)
ドイツ大使館付武官ライムンド・ヴァルナー海軍大佐
H13/04/07
(2001)
ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐
H13/04/07
(2001)
台湾臺灣高座會(臺灣出身元少年工員・家族)
H13/04/22
(2001)
ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐
H13/04/22
(2001)
トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐
H13/04/26
(2001)
アメリカ海兵隊第三師団長ウォーレス・グレッグソン海兵隊少将
H13/06/27
(2001)
インドヒンズー教徒カリアン・ババ氏
H13/10/18
(2001)
トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐
H13/10/30
(2001)
アゼルバイジャン元首相・人民戦線党最高評議会議長アリ・マシホフ氏
H14/04/10
(2002)
ペルー前大統領アルベルト・フジモリ氏
H14/05/31
(2002)
アメリカ在日米軍空軍基地将校会ロニー・デート空軍少佐以下

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靖国神社 外国人参拝者(2)

A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(H09〜H11)
年月日国名肩書・氏名
H09/04/05
(1997)
トルコ大使館付武官ネディム・ランバー海軍大佐
H09/04/05
(1997)
ルーマニア大使館付武官ダン空軍大佐
H09/04/05
(1997)
インド大使館付武官カトチ陸軍大佐
H09/04/05
(1997)
マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐
H09/04/05
(1997)
イスラエル大使館付武官ドルファン准将
H09/04/05
(1997)
ロシア大使館付プロコペンコ事務官、大使館付武官エヴストラホフ陸軍少将
H09/04/05
(1997)
タイ大使館付武官シーラカムクライ氏
H09/04/13
(1997)
タイプーン・サック海軍中将
H09/04/22
(1997)
ルーマニアダン空軍大佐
H09/04/22
(1997)
スイスドルガー防衛軍大佐
H09/04/22
(1997)
タイポンプン陸軍大佐
H09/11/25
(1997)
インドプロサント・パール夫妻(パール博士の子息)
H10/04/04
(1998)
ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐
H10/04/04
(1998)
イスラエル大使館付武官ドルファン准将
H10/04/04
(1998)
インド大使館付武官ヴォドガオン・カール海軍大佐
H10/04/04
(1998)
ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐
H10/04/04
(1998)
ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐
H10/04/04
(1998)
ロシア大使館付武官エフストラフコ陸軍少将、大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐
H10/04/04
(1998)
スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐
H10/04/04
(1998)
トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐
H10/04/22
(1998)
イスラエル大使館付武官ドルファン准将
H10/04/22
(1998)
ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐
H10/04/22
(1998)
トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐
H10/04/22
(1998)
ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐
H10/06/27
(1998)
アメリカ海軍第七艦隊ミカエル・ローランド・オリバー海軍大佐
H10/10/18
(1998)
トルコセミー・イエシブルサ海軍大佐
H10/10/18
(1998)
ポーランドスタルシコ陸軍大佐
H11/03/19
(1999)
カナダビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・スクール
H11/04/03
(1999)
インド大使館付武官ウェヘライ海軍大佐
H11/04/03
(1999)
ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジェアヌ空軍大佐
H11/04/03
(1999)
ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐
H11/04/03
(1999)
タイ大使館付武官マイトリー空軍大佐、大使館付武官スリヤン陸軍大佐
H11/04/03
(1999)
トルコ大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐
H11/04/03
(1999)
イラン大使館付武官サファリ海軍少将
H11/04/03
(1999)
ブラジル大使館付武官フェヘライ海軍大佐
H11/04/03
(1999)
マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐
H11/09/13
(1999)
チベットチベット佛教リクー・ブッダ・ダツ氏
H11/10/19
(1999)
ポーランド大使館付武官ヴワデイスフク・スタルシコ陸軍大佐
H11/10/19
(1999)
トルコ大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐

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靖国神社 外国人参拝者(1)

A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(S54〜H08)
年月日国名肩書・氏名
S54/10/28
(1979)
インドカルカッタ市チャンドラボース・リザーチィン・スティテュード館長 シシール・クマール・ボース夫妻
S55/11/01
(1980)
チベットチベット佛教(ラマ教) 法王ダライ・ラマ14世
S56/01/26
(1981)
アメリカ空軍横田基地司令官ドゥエイン・C・オーベルグ大佐夫妻以下
S56/04/29
(1981)
アメリカ在日アメリカンスクール教育長リチャード・T・オスナー氏
S56/05/12
(1981)
オーストリアウイーン大学宗教学 フリッツ・フィンガー・ライダー教授夫妻一行
S56/06/02
(1981)
オーストリアウイーン大学宗教学 フリッツ・フィンガー・ライダー教授夫妻一行
S56/06/22
(1981)
インドネシアアラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相
S57/11/25
(1982)
エジプト前世界イスラム審議会事務総長 モハメッド・トゥフィック・オーエイダ博士
S58/08/04
(1983)
アメリカ国立公園アリゾナ記念館 ゲーリー・カミンズ館長参拝
S58/11/09
(1983)
インドマガタ大学歴史学教授 アングッシュマン・ラビ博士 シンジャ・アワンマドゥ・クレジ博士
S59/12/13
(1984)
インド旧国民軍 シャーザダ・ブランデイーン・カーン陸軍大佐
S60/06/10
(1985)
エジプト駐日大使モハメッド・サミー・サーベット氏・公使アニース・ネマタラー氏
S60/07/23
(1985)
アメリカ横田基地空軍司令官ウォル・ファイル大佐
S60/10/18
(1985)
ドイツ大使館国防武官マウル大佐
S61/06/06
(1986)
アメリカ横田基地空軍副司令官エドワード・フライ大佐
S62/10/19
(1987)
ドイツ元大使館付武官クルグ海軍大佐夫妻 参列
S63/08/13
(1988)
パキスタン大使館付陸軍准将ブリカディー・ムハマド・ネイブ・テナ氏
S63/10/27
(1988)
アメリカ横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐
H01/06/20
(1989)
アメリカ横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐
H01/11/14
(1989)
ドイツハンブルク市国防軍指揮幕僚學校教官エーベルバルト・メシェル空軍大佐
H02/10/27
(1990)
ドイツシュトゥットガルト放送交響楽団団長 ルッツ・リューデンマン博士
H03/10/30
(1991)
チリ通産大臣 ルネ・アベリウク氏
H04/03/01
(1992)
スリランカ在日大使 C・マヘンドラン氏
H04/07/10
(1992)
フィンランド特命大使 カリ・ベリホルム氏
H05/09/21
(1993)
リトアニアアドルファス・スレジェべシス首相
H05/11/07
(1993)
タイ空軍司令官補佐サマート・ソサティット空軍大将
H06/06/15
(1994)
イギリス駐日大使館付武官M・スミス海軍大佐
H07/04/26
(1995)
インド故ラダビノ−ル・パール博士の令息 プロサント・パール氏
H07/05/30
(1995)
チベット前主席大臣(首相)テイジン・テトン
H07/08/02
(1995)
ミャンマー(旧ビルマ)文化大臣ウ・アエ氏
H07/08/14
(1995)
パラオ政府顧問イナボ・イナボ氏
H07/11/01
(1995)
ドイツ駐日武官ロベルト・ウェルナー夫妻
H08/06/15
(1996)
イギリス大使館付武官ロバートソン大佐・エドワーズ大佐
H08/06/17
(1996)
アメリカ・日本パラオぺリリュ−戦の旧日米両軍関係者53人
H08/08/13
(1996)
イラン一等書記官M・シャケリ氏
H08/08/13
(1996)
ドイツ大使館国防武官ロベルト・ウェルナー陸軍大佐
H08/08/20
(1996)
スロベニア国連大使ダニーロ・チュルク氏
H08/10/18
(1996)
トルコ大使館駐日武官ネディム・アンバル海軍大佐
H08/11/01
(1996)
 旧朝鮮王朝 李玖王子

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2005年05月16日

靖国神社−Wikipedia英語の自動翻訳

※お時間と忍耐力のある方は、中文の自動翻訳と比べてみて下さい(^-^)

靖国神社−ウィキペディア英語

靖国神社(直訳「平和な国の神殿」)は東京(日本)の神社です。

神殿の名前は元々、靖國神社(靖国ジンジャ)に書かれましたが、joyo漢字の名称で、名前は現在、靖国神社に書かれます。

2003年10月現在、SoulsのBookは戦争で殺された246万6495人の日本の、そして、元植民地の軍人(韓国で台湾にほとんど強制されます)の名前を記載します。

コンテンツ

1 歴史
2 神(注:Godではなく Kamiと表記)
3 論争
4 時事問題
5 一層の読書
6 参照
7 外部のリンク

歴史

神殿は1869年6月に元々、Meiji皇帝が戊辰戦争の犠牲者を記念する命令で建築されました。
元々東京Shokonsha(東京招魂社)と命名されていて、神殿は1879年に靖国ジンジャに改名されました。

神殿はすべての日本の、そして、元植民地の軍人(韓国の、そして、台湾の)のkami(スピリッツ)がそれ以来闘争でだめにした家への神道儀礼を実行しました。

1945年9月の第二次世界大戦における日本の敗北の後に、アメリカ主導のOccupation Authoritiesは、世俗的な政府機関、または日本政府から独立している宗教団体になるように靖国に命令しました。 靖国は後者を選びました。

その時以来、完全に靖国に個人的に資金を供給しています。

↓これは靖国神社の(正式に祭神saishinであって、柱hashiraとして数えられる)のenshired kamiのカウントです。

戊辰戦争(1867-68の内戦): 7,751
西南戦争(内戦、1877): 6,971
台湾の遠征(日本の占領に対する台湾の反逆の抑圧、1874): 1,130
日清戦争(1894-95の中国の侵入): 13,619
Beiqing事件(中国の侵入、1901): 1,256
日露戦争(1904-05の中国と韓国のロシアと侵入との闘争): 88,429
第一次世界大戦(1914-18の中国とモンゴリアの侵入): 4,850
Tsi-nan事件(中国の侵入、1928): 185
Mukden事件(満州の侵入、1931): 17,176
蘆溝橋事件(中国の侵入、1937-1945): 191,243
第二次世界大戦(ソ連と合衆国との闘争とアジアのカンボジア、中国、インドネシア、韓国、ラオス、マレーシア、ミャンマー(フィリピン)、シンガポール、ベトナム、および他の地域の侵入): 2,133,885

論争

中華人民共和国と韓国では、神殿が第二次世界大戦の日本のMilitarismのシンボル、および日本の右翼愛国心のシンボリックなセンターとして論争で紛糾させられるようになりました。

神殿によって発行されたパンフレットには、「戦争は起こる本当に悲惨なものですが、私たちが日本からの独立を保護して、アジア人の隣人と共に成功するのにそれが必要でした。」と書かれています。

他のもので、神殿は日本の歴史で博物館を走らせ、日本を守るために争った軍人を記念し、可美(神)としてそれらを覚えています。

「すばらしい東アジアを造るという日本の夢は歴史によって必要とされました、そして、それはアジアの国によって得ようとされました。」と、イギリス(注:英語)のウェブサイトは主張します。

「従軍慰安婦は日本のEmpireでやむを得ず役立ちませんでした。」と、日本(注:日本語)のウェブサイトは主張します。

韓国人はやむを得ず日本のものに改名しませんでした。

「また、神殿はAllied力によって遂行された残虐を示します、対馬丸、どの700が小学校の児童であるかに関する1500人の人の上で死につながるAllied力によって雷撃されて、沈められた運送船の沈没などのように。」

したがって、日本は彼らの目で侵略戦争を正当化したように思えます。

博物館訪問者に見せられた文書のスタイルビデオは第二次世界大戦以前の間、西側の主要国の帝国の進歩から東アジアを救うための努力として日本の東アジアの征服を描きます。

戦争犯罪で第二次世界大戦の間に処刑されたおよそ1,000人の捕虜がここに奉安されます。

当時、靖国がすべての日本人の戦争死傷者を奉安するべきであったとき、これは政治問題ではありませんでした。

しかしながら、1978年10月17日に、Hideki Tojoを含む14頭のA級戦犯(極東への国際Military Tribunalの判断に従って)が「ショーワの殉教者」(昭和殉難者Showa junnansha)として静かに奉安されました。

彼らは対応する訴訟と共に以下を含んでいます:(注:姓名の漢字は日本語ページより)

絞首:

東條英機 板垣征四郎 木村兵太郎 土肥原賢二 松井石根 武藤章 広田弘毅

生涯投獄:

梅津美治郎 小磯国昭 平沼騏一郎 白鳥敏夫

20年間の投獄(刑に服している間、死にます):

東郷茂徳

裁判所の決定の前に死んだ人々に達しました(病気か病気のため):

永野修身 松岡洋右

メディアに明らかにされると、1979年4月19日に、これはこの日まで激しく続く論争を始めました。

神殿は戦争犯罪人の挑戦的な弁護でさらに多くを怒らせました; 同じパンフレットはクレームを超えても言及しました: 「およそ1,068人の人(戦争犯罪人としてAllied法廷によって誤って起訴されました)がここに奉安されました。」

「神殿の英語ウェブサイトはそれらの1,068をそれらの「だれが戦争犯罪人としてAllied力の紛い物のような裁判所によって残酷に不当に裁かれましたか?」と呼びます。

「1979年の暴露の後に日本の皇帝は、神殿への訪問を支払うのを止めました、そして、これは以来ずっと、ケースのままで残っていました。」

しかしながら、強い声はまた、訪問を支持して[1]日本の人々にいます、東京都知事の石原慎太郎(2004年8月15日に、皇帝がもう一度神殿への訪問を支払い始めるように、彼の強い望みを示した)を含んでいて。

1978年以来神殿の論議を呼んだ自然は数年間領域が主に国内の日本の政治と他国との国の関係の両方を含んでいます。

3人の日本人の首相がそれ以来神殿を訪問することによって、騒ぎを引き起こしました: 1985年のYasuhiro中曾根と1996年のRyutaro橋本と特に小泉純一郎と2004年1月1日。(小泉純一郎は、2003年1月15日に2002年4月23日に2001年8月13日の4回訪問しました)。

一般に、神殿への首相による訪問は特に領域、中華人民共和国、および韓国の国による公式の非難の根拠を引き起こします、そのような動作を見るように日本のMilitarismを合法化する試み。

神殿への訪問も宗教の適切な役割に関する国内の討論で政府で論議を呼んでいます: 自由民主党の政治家の中には、訪問が信教の自由の黙秘権によって保護されて、立法者がそれらに戦争で堕落していた状態で敬意を表するのが、適切であると主張する人もいます。

しかしながら、自分達が非宗教のメモリアルが日本の軍事の死者のために組み込まれるというどんな提案も拒否するので、彼らを光栄に思いたがっている人々は靖国神社を訪問する必要はありません。

また、神殿は非宗教のメモリアルが組み込まれるというどんな提案と「靖国神社は日本の軍事の死者のための唯一無二のメモリアルでなければなりません」という神殿クレームにも反対します。

神殿を訪問するほとんどの日本人がそれを崇敬ではなく、記憶の行為であるとみなします、小泉首相が、彼の論議を呼んだ訪問が日本にかかわる戦争がこれ以上ないのを保証することであると述べていて。

これまで中国が神殿の最も多くの公然と非難する者である、多くの日本人が文化の相違がかかわるのを見ます。

しかしながら、中国人は日本人のように人の犯罪が死の後に解放されて、ことがその中国の批評であることを見ませんが、死者、主要なminsiterによるむしろ神殿の訪問は、日本の軍国主義を合法化する試み、それらのA級戦犯の動作、および右翼愛国心の公的支持政策として政府ヘッドと立法者ではありませんか?

中国と韓国は小泉の動作を批評しますが、首相は言いました: 「なぜそれらが生きていたとき、彼らが犯した犯罪を死者のせいにし続けますか?」

時事問題

神宮は、2004年9月以来公式のウェブサイトが中国のドメインから分散型サービス妨害(DDoS)攻撃で来ていると発表しました。日本語における発表

したがって、ユーザは、ウェブサイトにアクセスするのが難しいのがわかるかもしれません。

一層の読書

ブリーン、ジョン 「平和の陸の死者と生者:」 「靖国神殿の社会学。」 死亡率9、1(2004年2月): 76-93.

ネルソン、ジョン 「儀式習慣としての社会的な記憶:」 「靖国神社で軍事の死者のスピリッツを記念します。」 アジア研究のジャーナル62、2(2003年5月): 445-467.

靖国の論争に関する以上に関しては、見てください:

イジリ、ヒデノリ 「1972年の外交正常化以来の日中の論争。」 中国季刊誌124(1990年12月): 639-661.

ヤン、Daqing 歴史カードの未来の鏡? ‘歴史問題'を理解しています。21世紀の漢和関係で: 補完性と闘争 マリー・セーデルベリによって編集されます。10-31. ニューヨーク(ニューヨーク): ラウトレッジ、2002。

参照

神道
神道音楽
ジンジャ(神殿)
日本の仏教
日本の愛国心
神社のリスト

外部のリンク

靖国神社
靖国の主要な聖職者と彼のPM訪問の眺めのジャパンタイムズからの特徴
靖国神社からの絵
靖国神社のYushukan博物館からの絵

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

【 感想 】

 全般的には 客観的に書かれていると感じました。歴史の捏造は 日本人が一致団結すれば やがて政府が動き、正しいものになっていくと考えています。 しかし 現在は世界中の常識が 連合国=善で 枢軸国=悪となっていて、当然ながら日本も悪ですね。 これを正確なものに変えていくのは 非常に大変な事だと思います。
posted by hiro at 20:12| Comment(2) | TrackBack(2) | 靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月08日

靖国神社−Wikipedia中文の自動翻訳

※ちょっと長いので お急ぎの方は記事の最後の部分をご覧下さい(^-^)

靖国神社−ウィキペディア中文

靖国神社、1つの日本東京千代田区の9段の北に位置する神社だ。

靖国神社は于明治の2年( 1869年)を作り上げて、もとが “魂を呼び戻す社”が明治に天皇が再び権力を握ったのになったと語った後に、 それによって皇帝の権力の回復のために1クラス犠牲の軍人を記念する。

1879年に(明治12年)、 東京の魂を呼び戻す社の名前は靖国神社に変える。

靖国神社は明治の維新の後で日本のために祭ることの戦死する軍人で、 日清戦争(1894-5年)を含んで、日露戦争(1904-5年)、第2次世界大戦と。そのため、 日本全国の神社はすべて内務から管理を省いて、ただ靖国神社が軍の側から処理するのだ。

現在250万近く保管して日本といって死者の位牌に戦う。

日本は1945年8月15日に敗戦した後で、 日本の戦後のため平和憲法の第9条の説明は政府と宗教に別れて、靖国神社は選んで非政府の旗の下の宗教の機関にひとつなる。

靖国神社は祭って明治の元年から日本のために生命を投げ打つ軍人を始めて、 靖国神社の祭ることの戦死する第二次世界戦争の日本軍の軍人の中で、軍隊に入っての台湾と韓国人も含めることを募集される。

ある、 靖国神社も1978年秘密が14同盟国極東の軍事法廷に罪と死刑を執行するA級戦犯に入られてそれらの祭ることの名前を入れる中にある。

これらのA級戦犯は首相の東條英機と外長の広田の弘毅を含む。

このクラスの主要な戦犯の位牌も同時に神社の内で祭るため、 だからいつも日本の政治的要員は靖国神社に向かって参拝して、 いずれも隣り合っていて第二次世界戦争の時に日本の侵略の国家と人民の反対を被ったことがあることを引き起こす。

近年の日本の政治の環境の右翼溶けること、 指導者はしきりに役人になる式に向かって参拝して、そこで国家の政府と民衆の抗議の激化に隣り合っていることを使用する。

8月15日に、日本が無条件投降の“結局は記念日に戦う”を宣言する時、 多くの日本の国民はすべて靖国神社に行って戦死した親友を記念しにいく。

その上、“大きい東アジアの戦争” の日本軍の軍人に参与したことがあってもこの日に軍服を着て戦死する同僚を参拝しにいくある。

この宗教の機関の論争のブームになる原因は日本政府の官吏がいるためで、 首相と内閣の成員を含んで、高く備えているあるのは象徴する色のの“結局は記念日に戦う”が参拝することを靖国神社を。

一部の日本のため高級な官吏は戦犯を祭る神社を参拝して、 日本の侵略したことがあるアジア国家に日本の過去の侵略戦争に対する態度を質疑される。

第2次世界大戦の時に、 靖国神社はかつて神の風として特にチームの出発する儀式を研究する催して。

たとえ今にあるとしても、 よく日本の第二次世界戦争の退役の古い兵はここで各種を行って活動に哀悼を捧げる。

第二次世界戦争の時期に日本の古い軍服を着て、開催して列に並んでデモして、 口は軍国主義のスローガンに息を吐き出して、そのため、靖国神社も日本の軍国主義の分子の元気な聖地の1つだと思われる。

日本政府の官吏のために靖国神社の弁解を参拝する人は、 神社のは廃棄して1945年10月すでにでその時日本の国連の最高の司令官の総司令部の決定を占領したから貯蓄して、 だから靖国神社はすでに軍国主義と関連がなくて、ただ1基の普通の宗教の場所、 民間の人士は神社の内で軍国主義の祭祀ただ一部の人の立場に対してと思っている。

靖国神社を参拝する

当時の国連の下で決定する前に、 神社内は決して第2次世界大戦の戦犯を祭ることがあるないとしかし中国、韓国などを含んでかつて侵略の国家を受けた思っている。

この1,068人の戦犯、 含んで東條英機の13人のA級戦犯の位牌をくわえて、1978年にこっそりと置くことがだ。

そのため、靖国神社の性質は根本の変化があって、 その地位も再び審査決定するべきだ。

部分の反対者は更に思っている: “この千の数名の戦犯の位牌を神社に引っ越して、日本の政府が歴史に対して決して存分にの反省を行うことがいないことを表明している。

”第二次世界戦争の後で、日本の天皇は毎年靖国神社を参拝して、 戦犯の位牌から神社に入って暴露された後に、1979年後にから世論の圧力で迫って、 天皇はと首相に在位して二度と正式に靖国神社を参拝していないで、ただここ数年来だけ、迫るのは票を得ようとするのに必要で、 橋本龍太郎は首位の在職する首相が靖国神社を参拝するので、 小泉首相は更に日本の侵略する国家と国内の反対派の反対にアジアのすべてを顧みないで、何度もの正式の参拝。

靖国神社の大きい鳥居(日本の鳥居型の門)はその他の神社の木制の鳥居とすべて異なっている、青銅の製造を使ったので、 造型は重々しく簡潔で、軍人の風格を明らかに示すで。

第1回が日本の首相が靖国を参拝するため外交の危機のを引いてくるのは中曽根康弘が1985年8月15日に日本の首相の身分を使って靖国神社を参拝するのだ。

中の曽根は第1戦後首相が日本政府の元首の身分で参拝するのだ。

11年内この時から更に参拝に向かう日本の首相がなくて、 1996年の橋本龍太郎に至る。

しかし靖国神社を参拝するため中に中国の非難曽根をひとつ受ける。

2001年の選挙活動の中で、小泉純一郎は彼が“結局は記念日に戦う” ができて靖国神社を参拝していることを保証する。

しかし中国とアジア国家の外交の圧力のため、 最後に当選される小泉首相が結局8月13日に靖国神社を参拝して表示が敏感ではなくてと軽視することを免れる。

しかし日情緒に反対するのがまだとても強い原因で、 小泉は2001年10月8日に北京に着いて中国に彼の“心からのおわびの気持ち”を表す。

しかし小泉は靖国神社を参拝するまで(へ)重視していないで、 取り合わないのはいかなる時間で、いずれも深刻な政治の後の結果があって、2002年4月に更に参拝する。 今度の参拝は中国の怒りを北京まで(へ)日本を招待していないまで(へ)2002年9月の中日の関係が正常化する30周年の活動に参与させる。

同時、小泉純一郎が毎年靖国神社を参拝するため、 中日両国の指導者長年を使用していかなる相互訪問がなくて、“政治が熱いを通じて(通って)寒い”の局面が現れる。

2005年4月27日中国の駐日大使の王毅は、 中国と日本は1985年の中に曽根は靖国神社の(以)後で同意を参拝して、日本の高層の指導者はもうこの神の道教の神社を参拝しなくて、 中国を交換によって手に入れるで低い層の官吏の参拝に反対しないと言う。

翌日1982年〜1987年に日本の首相の中曽根康弘の中で曽根を担当してすぐ語っている:“これは完全に事実と一致しないのだ。” しかも“正式に'紳士協定'の存在があることを否定する。”

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

【 感想 】

 いったい誰が 書いているのだろうと考えてしまいました(-_-) 中国の一国民なのでしょうか? 中共の幹部? 世界にいる華僑? 在日中国人? 中国語に精通している親中日本人?
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1955年バンドン会議、日本の選択

バンドン会議50年記念したアジア・アフリカ会議

「地域」構想 日本に意義 「二国間」対立 克服の契機に 宮城 大蔵

(略) アジア・アフリカの新興独立国が、植民地主義反対で団結したこの会議が開かれた1955年、「アジア・アフリカ」とは何よりも、西洋の支配から独立を勝ち取ろうとする国々や地域を意味した。

ネルー、スカルノなど独立の栄光を担った指導者が集結したバンドン会議は、西洋列強が世界を支配した時代の終焉を鮮烈に知らしめた。

 一方でバンドン会議は、戦後日本にとって初の国際会議でもあったが、その立場は微妙であった。(略)

日本招聘は、中国の参加に対抗して、「アジアでの反共最大の大物」たる日本を招くというパキスタンの思惑が背後にあった。(略)

 バンドン会議を「アジア復帰」の第一歩としたい日本には、 三つの選択がありえた。

 まず米国の意を受けて積極的に反共を主張する路線である。(略) この路線の「アジア」とは、フィリピン、韓国などアジアの親米諸国になる。戦前・戦中に日本から受けた傷のとりわけ深い国々であり、当然に対日感情は厳しかった。

 二つ目の選択肢は、インドやインドネシアなど、バンドン会議の中核となった中立主義諸国に同調する路線である。(略) 戦後日本が米国の「ドルと核の傘」から抜け出る覚悟を要するものであった。

 結局日本は第三の道を選んだ。政治的問題になるべくかかわらず、経済問題に力を注ぐ。それは冷戦によって引き裂かれたアジアの一方を選択することを回避する方策であった。

経済審議庁長官・高碕達之助を代表に送り、この方針を実践した日本は当然バンドンできわめて影の薄い存在であった。

 そして五十年後の今回である。日本はおそらく最も巨大な存在感をもつ参加国の一つであった。(以下略)

北海道新聞 2005/04/28 夕刊9面

【 参考 】

アジア・ アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ

国際協力プラザ アジア・アフリカ(バンドン会議)

宮城 大蔵氏著書

「バンドン会議と日本のアジア復帰」 「戦後アジア秩序の模索と日本」

【 感想 】

 バンドン会議五十周年を記念して、アジア・アフリカ会議がインドネシアで開かれました。 そこで行われた小泉総理の演説の反響は大きく 賛否両論があります。 1955年のバンドン会議が世界に向けて主張した事、そして当時日本の置かれた立場を知る事も、今回の演説を評価するうえで重要と思い 記事にしました。

posted by hiro at 14:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

JETRO発 日中首脳会談の報道(六カ国)

独立行政法人日本貿易振興機構 JETRO(ジェトロ) 国・地域別情報 より

インドネシア

事実報道に終始−日中首脳会談への反応 05/04/26

 日中首脳会談のもようは大々的に報じられたが、事実報道に終始している。進出日系企業で中国から原材料・素材を調達している企業は少なく、現時点で影響はほどんど出ていない。

シンガポール

日中間の認識の差に着眼−日中首脳会議の報道ぶり 05/04/26

 当地英字紙は、日中首脳会談について、両国の思惑や主張の「ズレ」に焦点を当てて報道した。首脳会談の実現は二国間関係の一層の悪化を食い止める効果があったとする一方、具体的な取り組みや歩み寄りが見られなかったことが指摘された。

中国

今後は台湾問題の重要性が高まる− 日中首脳会談の報道ぶり 05/04/26

 当地紙は、4月23日にジャカルタで開催された日中首脳会談のもようを大きく取り上げた。「明報」「サウスチャイナ・モーニングポスト」紙は、両国が対話を通じ問題解決を図ろうとする点を評価する一方、今後は台湾問題が両国の懸案事項として浮上するとみている。

フィリピン

中国の反日行動を牽制−日中首脳会談の反響 05/04/27

 当地では、過去の植民地支配への謝罪を表明した小泉首相の演説を評価した上で、 一部にフィリピンに対しても謝罪すべきとする報道がみられた。一方、中国に対しては反日行動を牽制する意見もある。日系企業の多くは今回の反日行動の影響を限定的ととらえており、大きな動揺はみられない。

マレーシア

国内華人社会への配慮から関係改善を期待− 日中首脳会談への反応 05/04/26

 アブドゥラ首相は、昨今の日中関係について、両国が東南アジアにとって重要な国であり、良好な関係を維持することへの期待を述べた。国内では、華人系団体が日本の国連常任理事国入りに反対する小・中規模の抗議集会を開いているが、日系企業のビジネスには支障は出ていない。

米国

根本的な解決には至らず− 反日デモと日中首脳会談についての米国の論調 05/04/26

 米国での報道は、当初デモの様子を伝えるものが中心であった。デモの原因を日本の歴史認識に帰する記述が多く、また、日中関係についての分析も浅く、全体的に日本にとって厳しいトーンが目立った。しかし、時間の経過とともにより詳細で分析的な記事が増え、中国に対する厳しい見方も増えた。

【 感想 】

 アジア・アフリカ会議バンドン会議)の日本に関する各国の評価、報道を知りたいと思っても、なかなかないんですよねー... 外務省やNHKに期待してもだめなようで、まさかJETROにあるとは 思いませんでした。 他にも情報はありませんか?

posted by hiro at 12:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月04日

読者の声 01/03/29

 物置を片づけていて 古ーい道新が出てきました(^-^)

特集 日の丸・君が代

強制される歌に将来はあるのか 上○ ×吉 52歳

(略)国民に親しまれないのは、戦争という悲運の過去と、 卒業式など特別な場で特別視されるという弱点があるからだと思います。
 国民の思いが集約された国歌であるためには、ほかの人の目を気にせず、いつでもどこでも自信を持って歌えることが大切です。 今、教育の場で、この歌は強制され、処罰の対象に変身しました。強制され歌う国歌に、どんな魅力と将来があるのでしょうか。

政府の奇弁許す 未熟な市民意識 ○ 好× 65歳

(略)血塗られた歴史を持つ国旗ほどではないものの、 国家は民主化されたはずの日本に全くふさわしくないものです。
 「君」を国民と解釈しては、というのは奇弁です。(略) 政府・自民党が強制してくるのはなぜでしょうか。革新勢力との対決、組合つぶしにほかならない、と考えています。
 日本には、正しい市民意識が育たないのでしょうか。残念に思います。

教育現場の混乱 生徒にしわ寄せ ○田 ×子 62歳

(略)賛否両論は世の常。だが、日の丸も君が代も日本を表すものには違いない。(略)
 卒業式のステージで教師とPTAが日の丸を結んだポールを引っ張り合い、生徒は泣き出し卒業証書も受け取らぬ生徒も出たなど、本当にあったのだと思うと教育とは何かをつくづく考えさせられた。政治も教育も落ち着いた日が早く来てほしいと願う。

由来や歴史など教えるのが基本 ○木 孝× 82歳

(略)私は、道教委も北教組も基本的なことを忘れていないだろうかと思う。それは、国旗国歌の由来や、歴史、民族などとのかかわり合いを児童生徒に教えているだろうかということ。(略)また、北教組は、国旗国歌のどこが悪いのか、具体的に示してほしいと思う。国旗国歌を尊重すれば、今にも戦争が起こるような錯覚を持たせないように望む。

教委、教員とも もっと冷静さを ○本 哲× 36歳

(略)職務命令に反発するのは理解できるが、卒業式の主役は卒業生、生徒たちである。反対の意思を表すために起立しない、斉唱を拒否するほか退場した教師もいたそうだ。教師のそういう姿を見せられ、生徒たちは信頼すると思うだろうか。信念のためなら何をしても許されるということになりはしまいか。
 もっとお互い冷静になって、卒業式の最中に憎悪むき出しで角突き合わせることが、教育者として正しいかどうか考え直すべきだと思う。

為政の責任に目を向けるべき 高○ × 74歳

(略)日本は天皇中心の神の国として、天皇に忠誠を尽くすことが最大の責務であると教えられた。(略)こうして天皇をあがめる「君が代」は、戦前教育のバックボーンとして、大きな役割を果たしてきた。
 過日、この欄に「君が代」の戦争責任論が掲載されていたが、お説の通り、歌そのものに責任があるのではなく、それを利用した為政者に目を向けるべきではないか。

学校行事の時は 校旗校歌がよい ○島 ×三 77歳

(略)日の丸、君が代が第二次世界大戦時、国家的に悪用されて以来、問題視されているが、私は卒業式、入学式は学校行事であるから、学校最高象徴の校旗掲揚、校歌斉唱で筋が通ると思う。日の丸、君が代はといえば、スポーツその他国際交流の場で必要に応じて実施、施工すればよいと考える。(略)

北海道新聞 2001/03/29 6面[読者の声]

【 感想 】

 今から4年前は こんな感じでした。

>日の丸、君が代はといえば、スポーツその他国際交流

 日の丸はさておき、君が代は音楽の授業で習いましたっけ? 学校で君が代を歌わなければ、どこで覚えるんでしょうか? エッ塾、社内教育...

>信念のためなら何をしても許されるということになりはしまいか。

4年も前に 日本版愛国無罪がありましたorz

>国旗国歌を尊重すれば、今にも戦争が起こるような錯覚を持たせないように望む。

もー激しく同意!

posted by hiro at 17:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 道新批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月03日

ニュースへの視点 桂 敬一 05/05/02

誠実な謝罪が信頼への一歩

 中国各地の「反日デモ」参加者の一部が日本大使館・領事館はおろか、民間の日本料理店にまで破壊攻撃を加えた行為は、論外である。日本政府は被害に対する補償を、秩序維持に責任を負う中国政府に、当然求めなければならない。

 しかし、大もとの「反日デモ」がなぜ繰り返し、しつこく起こるのかを考えるとき、当の中国だけでなく、韓国シンガポールなども指摘するとおり、日本の政府関係者や与党政治家などの「歴史認識」のお粗末さに原因があるということを、残念ながら認めざるを得ない。

戦争責任で独と差

(全略)

世界が日本を注視

 日本の政府責任者が、中国の南京大虐殺受難同胞記念館や悪名高い「七三一部隊」 跡を、韓国の「三・一事件」記念施設やシンガポールの日本軍占領期殉難者記念塔を、真正面から訪ね、犠牲者に対して誠実に謝罪したことが、 果たしてあっただろうか。

 世界は、日本がこれまでなにをして、なにをしていないか、よく知っている。そして、いまも日本をじっとみつめている。私たちはその問いかけるような眼差しをしっかり受け止め、世界の信頼が獲得できるように、行動で答えを出していかなければならない。

北海道新聞 2005/05/02 夕刊5面

【 参考 】

良質のジャーナリズム 桂敬一の視点

メディア関係者、 NHK問題に関する緊急記者会見

日本ジャーナリスト会議 代表委員 桂敬一(他6名)

NHK裁判第四回口頭弁論・ 報告集会

【 感想 】

 桂 敬一氏の このコラムはわりと読んでいるんですが、今回のはすごかった! 桂氏は 新聞研究の専門家として有名な方なんだそうですが、思想は偏っているようにしか思えません(-_-)

posted by hiro at 13:25| Comment(7) | TrackBack(2) | 道新批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月01日

NHK海外ネットワーク 05/05/01

 とりあえず テロップの部分だけですが、テキスト起こししました。見ていない方にも雰囲気は伝わると期待してます(^^)

過激反日デモに対する各国メディアの論調を徹底検証 道傳 愛子

反日デモ 世界はどう見た

韓国 KBS

中国では反日デモが広がり 暴徒化する様相を見せている
一度高まった反日の感情は おさまりそうにない

靖国神社の参拝中止など 日本側に譲歩がないかぎり
デモはさらに 激化するものと思われる

シンガポール CNA

小泉首相は日中首脳会談を前に 謝罪を表明 中国と緊張緩和目指した
同じ日 日本の国会議員80人が 靖国神社を参拝
日本側は予定されたものと主張するがタイミングは最悪

マレーシア 中国系住民による反日集会

我々の怒りは日本の犠牲となった中国や韓国の人と同じものだ

「ルックイースト」政策 アブドラ首相 マハティール前首相

華僑ネットワーク

マレーシア ル・ペイチュンさん(日本語で発言)

感情の面では同胞に近い中国のことを応援する
被害者として中国がやっていること 理解できないわけではない

スペイン TVE

中国の反日デモは事実上 当局に黙認され広がりを見せている
デモの様子を撮影しようとしたが 当局に妨害された

問題は当局にも デモの統制がきかなくなっていること

フランス F2

中国に住む数十万人の日本人は 不安を募らせている
北京で暮らす日本人女性が 心境語ってくれた

日本人女性 「中国の人が告発する歴史問題は私たちの世代の責任ではない なぜ今私たちが攻撃されるのか理解できない」

イギリス タイムズ

”中国はもっと大人の対応を”
日本は17回公式に謝罪 中国は一体何を求めているのか

アメリカ ワシントンポスト

”中国政府が反日デモあおった”

胡錦涛政権は自らの目的のため ナショナリズムに火を付け−
利用しようという危険で無責任な決定をした

ワシントンポスト アントニー・ファイオラ 北東アジア総局長

日中の対立ということだけでなく 中国の内情が伺える出来事として注目
抗議デモの拡大は 中国政府の手にも負えなくなっている
今のところは反日かもしれないが 2、3週間後には民主化要求デモかも
中国政府の対応 デモの変化あるのか そこに注目

胡錦涛国家主席 異例の会見

中日関係には多くの困難があるが 両国の友好関係を発展させる方針に変わりない

中国 上海テレビ

容疑者1 「犯罪はゆるされない」
容疑者2 「とても後悔 私の過ちを教訓に」

大学で対話集会

学生1 「自分の愛国心をどう表現するべきか」
学生2 「国連の常任理事国入り目指す 日本の外交姿勢は極めて攻撃的に」
学生3 「日本の主要メディアはデモを大きくとり上げた しかし中国国内ではしばらくの間 報道はほとんどなかった」

中国外交学院 呉 建民院長

日本と中国は体制もメディアも違う これは複雑な問題で将来海外に行けば理解できる
21世紀の愛国的行為とは 国家利益を考慮して行動すること

中継 北京 北川 薫

北京 きのう 日系スーパーの開店

イトーヨーカ堂 塙 昭彦中国総代表

(反日) 活動が下火になってきた 警備体制も通常どおりと考えている
記念日などの問題もあり 若干(警備員を)増やす

40年余アジアを取材 サム・ジェームソン記者

Q 中国情勢は変化しているか

まず今回のことで中国政府が非常に不安定な状態に陥るおそれがあるのは確か

中国政府が暴力行為を容認していることは−
中国が国際社会の一員として 成熟していないことを示している

日本に対してどんな不満があろうと暴力行為や破壊行為は許されない
中国が謝罪を拒んでいることは認められることではない

天安門事件で中国政府は抗議行動を戦車で鎮圧したが今回はしなかった
しかし天安門事件で見られた不安定な状態が今でも存在すること明らかに

国民を統制できなければオリンピックを無事開催できるか能力を問われる

Q 日中関係 米の勘案か

アメリカはアジアで戦争起こさせないこと 何より重要だと考えている
仮に日本と中国が戦争する事態になれば激しいものになる

なにより重要なことは日本と中国が良好な関係を築くこと
国連で日本と中国の立場が対等な立場になることが必要
そうしなければ北朝鮮を巡る問題を解決することなどできない
平和なアジアを実現する唯一の方法は日本と中国が平等な関係になること

【 感想 】

 今回 「各国メディアの論調を徹底検証」とあったので アジア諸国の論調がわかると思って見ました。 しかしアジアからは、親日の意見が放映されませんでした。 日本は、アジアから嫌われているという印象操作が したかったのでしょうか?

 番組内で シンガポールは80%が中国系国民、マレーシアは1/4が中国系国民と紹介していました。 しかし、なぜマレーシアではマスコミの報道ではなく 中国系の反日集会を取り上げたのでしょうか? 大多数を占めるマレー系国民の意見、インドやインドネシア等の親日国の論調も知りたかったです!!

「将来海外に行けば理解できる」という発言には 思わず失笑してしまいました(-_-)

05/05/02 17:45 一部修正
posted by hiro at 22:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 番組批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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