2007年02月25日

北方領土関連年表

西暦 元号内    容
1855年
2月
安政元年
12月
日露和親条約(通好条約)締結。択捉島とウルップ島の間を国境とし、樺太は両国民混住地
1875年明治8年
5月
樺太千島交換条約締結。千島列島が日本領、樺太がロシア領
1905年明治38年
9月
日露戦争講和のポーツマス条約で南樺太が日本領に
1945年昭和20年
2月
ヤルタ会談で米英が千島列島をソ連に引き渡すと密約(米政府は31年、法的効果を否定)
昭和20年
7月
ポツダム宣言。日本の主権を本州、北海道、九州、四国と「われらの決定する諸小島」に限定
昭和20年
8月9日
ソ連が日ソ中立条約を侵犯して対日参戦
昭和20年
9月5日
ソ連軍、千島列島、北方領土の占領完了
1947年昭和22年
島民が北方領土から順次、強制退去
1951年昭和26年
9月
サンフランシスコ平和条約調印。日本は南樺太、千島列島の領有権を放棄。日本政府代表は北方領土を「日本固有の領土」と演説
1956年昭和31年
10月
鳩山一郎首相が訪ソ。共同宣言で平和条約締結後の歯舞、色丹返還を明記
1973年昭和48年
10月
田中角栄首相とブレジネフ書記長が会談。「戦後の未解決の諸問題」に領土問題を含むと確認
1981年昭和56年
1月
北方領土の日の制定を閣議了解
1993年平成5年
10月
細川護煕首相とエリツィン露大統領が東京宣言。領土問題は択捉など4島の帰属問題と明記
1997年平成9年
11月
橋本龍太郎首相、エリツィン大統領がクラスノヤルスクで会談。「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意
1998年平成10年
4月
橋本首相、エリツィン大統領との川奈会談でウルップ島と択捉島の間に国境線を引くよう提案
(肩書は当時)
                  
【用語解説】北方領土

 択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)諸島の4島からなり、総面積は福岡県より広い。周辺海域は世界3大漁場の1つともいわれるサケ、カニなどの宝庫だ。旧ソ連が終戦直後、不法に軍事占領し、約3000人の児童生徒を含む北方四島の日本人住民1万7291人は着の身着のまま北海道へ脱出したり、強制労働や樺太での抑留などを経て故郷を追われた。元島民は現在約8000人、子、孫、ひ孫の世代は約2万8000人いる。

 日本と旧ソ連は昭和31年、(1)国交回復(2)平和条約締結後に歯舞、色丹を日本へ引き渡す(3)平和条約締結交渉の継続−を柱とする「日ソ共同宣言」で合意。(略)

産経NetView 07/02/08 5面[総合]


posted by hiro at 22:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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